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1383件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2011-08-10 第177回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第6号

菅内閣総理大臣 私は、最初の選挙は無所属でやりまして、その後、江田三郎議員がつくられた社会市民連合参加をいたしまして、私も代表の一人になりました。その後、江田三郎さんが亡くなられて、五月さん、あるいはそういった皆さんと、翌年に田さん、楢崎さん、そういった皆さん一緒に社民連という政党をつくりました。

菅直人

2011-02-25 第177回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

最初江田三郎先生の話をしましたが、江田三郎先生も、恵まれない人たちのために生涯を送られた政治家でございました。今現在においても、あいりん地区のような非常に悲惨な状況にある場所があり、そこに安穏な生活を捨てて飛び込んで、その人たちを助けていこうという決意を持って臨まれた女性が志半ばで亡くなった、こういう事件があった。このことについて、大臣、どういう御感想をお持ちでしょうか。

中島政希

2011-02-25 第177回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

その中で、座右の銘として江田三郎先生言葉を引用されました。道というものはもともとあるものではなくて、歩く人が多くなればそこが道になるのだ。もともとは魯迅の言葉でしょうか。私、大変印象深く、感銘を受けて拝聴いたしました。  というのは、私が学生のころ、菅直人さんが、あきらめないで参加民主主義をめざす市民の会というのをやっているのをちょっと知りまして、その講演会江田三郎先生がお出になった。

中島政希

2003-04-01 第156回国会 衆議院 国土交通委員会 第12号

それで、経緯を私の方で確認した分だけでもお話ししますが、例えば、個人名をお出しするのがいいかどうかわかりませんが、明石—鳴門ルートに関しては三木元首相がいらっしゃったとか、あるいは原健三郎衆議院議長がいらっしゃったとか、あるいは坂出ルートに関しては大平元総理がいらっしゃったとか、あるいは江田三郎社会党書記長がいらっしゃったとか、お名前だけ聞けば、確かにそうそうたるメンバーです。

津川祥吾

2002-11-29 第155回国会 衆議院 本会議 第15号

時あたかも、六〇年安保闘争の高まりの中、大学の自治会委員長として、南通用門突破組だった先生は、デモ隊警官がもみ合う騒乱状態の中で、全ての国会議員が避難した後、ただ一人で警官を抑え、放水を浴びながらも、必死に学生達を守ろうとする江田三郎氏の姿に心打たれ、政治の道を目指されました。後に先生は、「私にとって、生まれて初めて体験した壮大な政治ドラマだった。

石原伸晃

2002-11-07 第155回国会 参議院 法務委員会 第4号

御承知の方もおられると思いますけれども、石井さんと私とは学生運動以来の友人、もう四十年を超える友人で、その後、彼は旧社会党本部の職員となって、私の父、江田三郎社会党を離党したときに直ちに黙って行動をともにしてくれた。父の死が間近いというときに、当時、裁判官だった私を説得して政治家になることを勧めた。

江田五月

1994-11-01 第131回国会 参議院 内閣委員会 第3号

総務庁長官は前回の内閣委員会で、江田三郎先生の「強い心がなければ生きていけない、優しい心がなければ幸せは得られない」という言葉を引用して行革への決意を語っておられますが、強い心と優しい心というのは使い分けが大切ではないかと私は思います。行革について、どんな障害にも負けない強い心で取り組んでいくんだという決意をいま一度お聞かせいただきたいと思います。

狩野安

1994-10-27 第131回国会 参議院 内閣委員会 第2号

ただ私は、行革を担当する大臣として思っておりますのは、私の政治家先輩で今でも尊敬いたしておりますが、お亡くなりになりました江田三郎先生がおられます。江田先生は、よく色紙に「強い心がなければ生きていけない 優しい心がなければ幸せは得られない」と、こうお書きになりました。まさに行政改革、この特殊法人整理合理化等の問題は、これは強い心がなければできないと思います。

山口鶴男

1994-10-17 第131回国会 参議院 予算委員会 第2号

私が尊敬する政治家社会党書記長をやられた江田三郎先生がおられるんですが、よく色紙に「強い心がなければ生きていけない 優しい心がなければ幸せは得られない」と、こうお書きになりました。私は、この行政改革に取り組むに当たって、やさしい心も必要ですが、強い心がなければやっていけないと、こういう決意で取り組むつもりであります。  

山口鶴男

1994-07-20 第130回国会 衆議院 本会議 第2号

村山総理、あなたが師事され、政権取りを夢見ながら、ついに果たし得なかった江田三郎氏の残された言葉と聞いております。今あなたは、それを実現できる立場にあるのであります。  総理におかれましては、これまで同様、無私の心境に立ち、野党の声にも耳を傾け、重々御健康にも御留意をされ、我が国の未来のために御奮聞いただくことを心からお願いして、私の質問を終わります。

小渕恵三

1991-11-21 第122回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第1号

江田三郎氏がやっぱり出しているんですよ。五〇年代、六〇年代出しているんです。ソ連側がかつて出した構想しかないんではなくて、日本側にもあるんですよ。  こういう構想ポスト冷戦時代に保革の壁を越えて今こそ出していくべき時期に来ているのに、出ていないというのは非常に政治の貧困を感じます。国連の中で外交政策を位置づけた方がいいと思います。

進藤榮一

1991-10-01 第121回国会 衆議院 本会議 第13号

それが国会における吾が恩師、江田三郎の最後の願いでもあります。   古いイデオロギー主義を克服し、野党結集連合新党政界再編政権交代の実現に、私は全精力を傾けてまいりたいと決意いたしております。同僚議員各位の御指導と御協力を心からお願い申し上げます。   本日十月一日は、私の長年の念願でありましたが、郷里におきましては、庄内空港開港式の日でもあります。

櫻内義雄

1989-12-01 第116回国会 参議院 土地問題等に関する特別委員会 第5号

聞くところによりますと、私どもの大先輩であります故江田三郎さんが、市民のカンパでセスナ機で、大量に航空写真をつくって、空き地はこうだこうだということで市民に啓蒙しながら、市民と全体で監視をしながらそういうことをしてきたというお話も聞いております。そこらはもしも国土庁長官の意見がありましたらひとつお伺いしたい、このように思います。

谷畑孝

1988-03-09 第112回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号

この民間福祉事業に使うというのは、この競馬法国会に上がった際に、昭和二十年代でございますが、当時我が党の江田三郎、中澤茂一等の諸君が努力いたしまして、そして余った分は一部は福祉事業に使ったらどうだというので、第二納付金のおおよそ四分の一を民間福祉事業に使えということを法律に書いてあるのであります。  しかしながら、これはどうも明確になってない。

井上普方

1983-02-07 第98回国会 衆議院 予算委員会 第6号

江田三郎を中心とする調査団で参りましたが――もう時間になったか。(「だめじゃないか、本だけ配っておいて」と呼ぶ者あり)本だけ配っちゃったけれども、よし、それじゃもうやめますが、大蔵大臣、あなたもこの非核武装地帯をつくろうというときには一緒に行っているのだよ。防衛庁長官、あなたも行っているのだ。  当時の予算委員長荒舩清十郎、りっぱな人でしたよ。死んでも名前は残る。

小林進

1982-06-16 第96回国会 衆議院 外務委員会 第18号

かつてレバノンとイスラエルがばちばちやっておるときに、私ども、亡くなられた江田三郎を団長にして、上田哲やら私や河上民雄君なんかと一緒レバノンに入ってアラファト議長に会うために行ったのでありますが、そのときに、レバノンにいられた大使の、とてもとても危険だから入らないでもらいたいというたっての忠告でエジプトのカイロに滞在した。そのとき、カイロ大使は和田君でした。

小林進

1977-05-26 第80回国会 衆議院 本会議 第30号

永年在職議員として表彰された元議員江田三郎君は、去る二十二日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において昨二十五日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもってその功労を表彰された江田三郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます      ————◇—————

保利茂

1977-05-26 第80回国会 衆議院 議院運営委員会 第29号

        副  議  長 三宅 正一君         事 務 総 長 大久保 孟君     ————————————— 委員の異動 五月二十六日  辞任         補欠選任   原田昇左右君     大坪健一郎君 同日 辞任          補欠選任   大坪健一郎君     原田昇左右君     ————————————— 本日の会議に付した案件  永年在職議員として表彰された元議員江田三郎

会議録情報

1977-05-26 第80回国会 衆議院 議院運営委員会 第29号

大久保事務総長 最初に、議長から故江田三郎先生に対する弔詞贈呈の御報告があります。  次に、日程に入りまして、日程第一につき、委員会の審査を省略しまして、北側建設委員長の趣旨の弁明がございます。全会一致でございます。  次に、日程第二につきまして、金子農林水産委員長の御報告があります。全会一致でございます。  

大久保孟

1977-05-26 第80回国会 衆議院 議院運営委員会 第29号

まず、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る二十二日、永年在職議員として表彰された元議員江田三郎君が逝去されました。  ここに謹んで哀悼の意を表します。  弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、去る二十四日の理事会の御了承を得て、昨日、議長から贈呈していただきましたので、御了承を願います。     

金丸信

1976-11-04 第78回国会 衆議院 農林水産委員会 第7号

同外一件(中川利三郎紹介)(第一〇七九  号)  同外二件(中村茂紹介)(第一〇八〇号)  同(村山富市紹介)(第一〇八一号)  同(山田芳治紹介)(第一〇八二号) 同月二十七日  外麦輸入の削減に関する請願外十八件(稲富稜  人君紹介)(第一一〇五号)  同外二十八件(原健三郎紹介)(第一一〇六  号)  同(阿部昭吾紹介)(第一一五七号)  同(諫山博紹介)(第一一五八号)  同(江田三郎紹介

会議録情報